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2016年12月からは聖書を読んでの日記です

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義母の葬儀記録 其の一

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昨日深夜、義母の葬儀を終え帰宅した。

5日月曜日早朝家を出発。
暦を見ると、たった三泊四日の旅だったのに、
二週間ほど家を空けたような気持ち、、、。
それほど、非日常の連続、最後の最後まで緊張の日々だった。

月曜日。
東北のH空港に義姉の夫Tさんが迎えに来てくれた。
東北訛りTさんの話す言葉は、それだけで温かい。
Tさんからおばあちゃん(義母)の臨終の様子を聞きながら、
夫の実家に到着。
葬儀は実家の大広間を二間使い、葬儀屋が祭壇を作っていた。
30人は入るだろうか。
築50年を超えるこの家は、
当時の風習に従い家で冠婚葬祭を済ませることが出来るよう、
すべての部屋がふすまで仕切られ廊下は縁側のみ。
私達が到着して一時間ほどで息子夫婦も到着。
直ぐに喪服に着替える。
実家にはすでに近所の婦人が五名ほど来て、
兄嫁も加わり来客の昼飯の準備をしていた。
私は「疲れているから、、」との気遣いで、
義兄からおばあちゃんの臨終までの話しを夫らと聞いていた。
そのうち親戚も全員揃い、お坊さんが到着したところで読経。
そして、すぐにバスに乗り火葬場へと向かった。
火葬場でも近所の婦人が茶や惣菜、菓子で接待。

夫の実家のあたりでは何代も前から、
葬儀の際には近所の婦人が手伝いに行き、
二日間に渡って朝から晩まで台所で参列者や親戚のために食事を作る。
義母の場合でも毎食30人分くらいは用意していたと思う。
品数も豊富で、肉や魚を使わず野菜中心。
大変なご馳走だ。
手伝う婦人は家でも一品から二品惣菜を用意し、
喪主の家でも最低五品は作っていたようだ。

普段会えない親戚や近所の人と歓談。
亡き義母を偲んでいるうちに義母は荼毘に付された。
義父亡き後20年以上ひとり暮らし。
それも近所の人の温かい見守りと、
地元に住む義姉がいればこそだった、と今更ながら感謝した。
数えで91歳の義母の火葬に際し、
義姉だけが号泣した。
夫も義兄も淡々としている。
私も実母の火葬の時には人目も憚らず棺にすがって泣いた。
母と娘。
この絆は深い。
私は思わず義姉の側に行き、背中をさすった。
火葬場から実家へ戻り、
読経後、夜8時ころまで親戚らと話して私たち夫婦と息子夫婦は、
宿へと向かった。

早朝から飛行機に乗り、
夜八時までノンストップで大勢の人と話したので、
まともに食事をした印象がなかった。

夫は近くのコンビニで焼きそばを買ってきてホテルで食べた。
その時、名物のラーメン屋に向かう息子夫婦と会ったという。
息子夫婦も六時間かけて実家に来たが、その元気に驚いた。
私は疲れて食欲もなく、
ただただぼうっとしていた。

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