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2016年12月からは聖書を読んでの日記です

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その後の近況

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昨日は今年初めてのオルガンレッスンの日であったが、
朝から頭痛。
午前中のシゴトを終え昼食後父の面会の予定も入れていたが、
全ての予定をキャンセル。
午前中鎮痛薬を飲んでベッドで休息。

その甲斐あって、
今日は朝から体調も戻ったので、午後から父の面会のため車を出した。

この季節、アイスバーンの路面が怖い。
今日は幹線道路も良好だろうと久しぶりに運転したら、
まずまず快適な路面だった。

父の施設に行く前に郵便局に寄る。
今年の年賀状は二割がた出したところで義母の訃報。
書きかけも含めて大量の年賀はがきが手元に残ったままとなった。
先日、お年玉年賀くじの当選番号をチェック。
いつもは三等が何枚かあるのに、
今年は一枚も当たらなかった。

そのはずれくじの年賀はがきを持ち込むと、
局員は丁寧に交換方法を説明。
結局、レターパック、切手と交換した。
 
元気があれば、
ハガキと交換して年賀状代わりに寒中見舞いなど出して、
近況など簡単に書き添えたら良かったと思うが、
夫も私も全くそこに費やす気力がない。

年末年始と義母の死に向き合ったことの影響がまだまだ残っている。

義母の葬儀では泣かなかった私だが、
亡くなって一度だけ大粒の涙を流した。
それは今習っているオルガンの曲を練習していた時。
義母の顔が目に浮かんだとたん、泣けた。
手を止めて目をつむった。
義母の東北訛りの声がまだ記憶に強く残っている。
もうあの声を聞くことが出来ないと思ったら、
無性に悲しくなった。
義母が生きている時は、
遠く離れて生活してきたからか、
あまり思い出すこともなかったが、
亡くなってから一日に一度は思い出す。
ある時、携帯の着信に義母の名があった。
義母の家から義兄が電話をかけたのだったが、
一瞬ドキッとし、後で名義を義兄に変えた。
こんな作業を繰り返し、いよいよ義母が亡くなったのだと実感する。
寂しい。

そんなこともあり、
頑張って父の施設に面会に出かけたわけだが、
父は会うたび、
身体から少しづつ生気が抜けている。
今日は普段着に着替えてはいたが、
ずっとベッドに横になりテレビを見ていた。
私に二三話しかけたが、
答えてもさほど興味がない様子。
その質問の後、私が話しかけてもテレビを見ている。
夢の中で生きているかのよう、、。
こころをどこかに置き忘れているのか、、、。

今まではテレビより生きているニンゲンに興味があったのに、、、と驚いた。

新年早々インフルエンザに感染したことも覚えていない。

私が立ち上がっただけで、
「さよなら」と手を出した。
まだ来て20分ほどしか経っていないのに、、、。
時間の流れもわからなくなっているのか。
昨年12月始めの頃と比べると、格段に様子が変わっている。
この一ヶ月の間何度も入院を繰り返した。

父はあとどのくらい生きられるのか。
義母と同じくらい骨と皮だけになった父を見てそう思った。

悲しいことだが、人は必ず死ぬ。
父を見てそれを己に言い聞かせる。
若い時は父の死を想像するだけで泣けた。
でも今は、それを受け入れようと向き合う自分がいる。

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